会社概要
理念
よりよく、より美しく
当社は商品制作において、手描友禅染のみの技法にあえてこだわらずに、その柄行、配色、地色等のバランスを考え、最もその絵柄がよりよく表現できる技法を友禅染と併用して制作することを特徴としています(例えば、ローケツ染、ダンマル描き、セキ出し、無線描き等)。そして少しでも当社の着物をお召しになる方が、より美しくなられるようにと日々制作しています。
加工工程
生地選定→図案製作→下のし→糸目置き→柄伏せ→引染→蒸し水元→地入れ→手描き友禅→糸目落とし蒸し水元→整理→(金彩加工)→(刺繍)→お仕立て
上記の工程をそれぞれ専門の職人さんが心を込めて仕事をしていくことで、初めて一枚の着物が出来上がります。
	(技法によって順序が変わることがあります。)
ご挨拶
 
当社は商品制作において、手描友禅染のみの技法にあえてこだわらずに、その柄行、配色、地色等のバランスを考え、最もその絵柄がよりよく表現できる技法を友禅染と併用して制作することを特徴としています(例えば、ローケツ染、ダンマル描き、セキ出し、無線描き等)。そして少しでも当社の着物をお召しになる方が、より美しくなられるようにと日々制作しています。
		代表取締役 山田 容永
	
受賞歴
| 2014年 | 経済産業大臣賞 | 
|---|---|
| 2015年 | 経済産業大臣賞 | 
| 2016年 | 経済産業大臣賞 | 
| 2018年 | 経済産業大臣賞 | 
| 2019年 | 京友禅競技大会特別優秀賞 | 
| 2020年 | 「令和 梅の花」企画展大賞 | 
| 2021年 | 京都市長賞 | 
| 他多数 | 
沿革
| 明治35年12月 | 創始者山田勇之助京都市中京区神泉苑三条下ルにて出生。 | 
|---|---|
| 大正12年9月 | 関東大震災の為早稲田大学商学部中退。 | 
| 大正14年1月 | 勇之助長男先代山田譲治誕生。 | 
| 大正14年4月 | 京都市上京区鞍馬口烏丸西入にて南画の傍ら染色工芸を開業。 | 
| 昭和17年7月 | 市内中京区木屋町御池上ルに移転。 | 
| 昭和19年6月 | 第二次世界大戦企業整備令の為休業。 | 
| 昭和20年3月 | 先代山田譲治招集(立命館大学法学部4年在学中) | 
| 昭和23年4月 | 企業整備令の解除と共に同業再開。 | 
| 昭和24年10月 | 山田譲治復員し家業従事。 | 
| 昭和26年3月 | 立命館大学法学部卒業。 | 
| 昭和26年5月 | 勇之助京都市上京区高野東山106番地に、居宅及分工場を新設 | 
| 昭和27年4月 | 山田譲治、染色作家山田先智子と結婚。 | 
| 昭和30年7月 | 長男現代表取締役社長、山田容永誕生。 | 
| 昭和34年6月 | 山田先智子日展初入選、以来毎年入選。 | 
| 昭和43年4月 | 法人に組織変更し先代山田城嗣(譲治)代表取締役に就任。 | 
| 昭和43年11月 | 宇治市伊勢田町に新工場及従業員宿舎を新設。 | 
| 昭和44年4月 | 山田勇之助、伝統産業知事表彰功労賞を受ける。 | 
| 昭和50年11月 | 社名を、株式会社 京染せい山に改称。 | 
| 昭和53年3月 | 山田容永、同志社大学校経済学部を卒業 株式会社京染せい山に入社。 | 
| 昭和58年4月 | 山田容永、幼少よりの家業手伝いの技能を発揮、 幹部社員全員の推薦により営業部長に就任。 | 
| 昭和59年12月 | 営業部長山田容永、取締役に就任。生まれつきのセンスを社業に発揮、事業拡大に貢献。 | 
| 昭和62年11月 | 先代代表取締役山田城嗣、肺炎により62歳にて急逝。 | 
| 昭和62年12月 | 営業部長山田容永、代表取締役に就任。 | 
| 昭和63年6月 | 市内壬生御所ノ内町に土地150.74㎡を取得 月極ガレージ業を営業。 | 
| 平成1年8月 | 市内中京区木屋町御池本社を前面改築 10月完成。 | 
| 平成2年3月 | 宇治市伊勢田工場及寮を前面改築4月完成。 | 
| 平成10年6月 | 宇治工場閉鎖、外注加工生産とする。 | 
| 平成13年4月 | 壬生ガレージに新社屋を建設。 | 
| 平成13年7月 | 木屋町御池より本社移転、現所より営業開始、現在に至る。 | 
 
      